アトリエ系建築設計事務所に勤務するスタッフのひとり言

建築について、日々の生活について、感じた事を言葉にする。

建築と関係ない話

終電に近い電車に乗ってると怖い顔した人がたくさんいるんだよね。
怖いって言うのはイライラしてるとかそういう意味で。
眉間にシワがよって、目がつり上がってて。

顔ってその場その場の感情によって変わるものだけど、真顔ってのは日常の顔が映ると思ってる。

中学校の時の先生が、心が子供から大人に変わる時は顔が変わるって言ってたのを思い出した。
いい顔になるって。

親に甘えたり、自分勝手だったり、まだ精神的に自立できていないで入ってくる中学生の子が、ある時から大人になってくるといい顔に変わるんだとか。

イケメンとか可愛いとか別で、いい顔をした人って素敵だなと思う。
思えば建築家の人達はみんないい顔をしている気がする。
いい仕事して、いい家庭を作って、いい行いをして、そんでいい顔して生きていきたいもんだね。

ここ最近

2か月ほどなにも書いてなかった。

最近何してたかというと、
まずは2級建築士の試験。
もう結構前のことになるけど、2級建築士の学科試験を受け、ギリッギリで合格し、2週間ほど前に製図試験を受けてきた。
結果は12月なので後は結果を待つだけ。

研究室のプロジェクト。
夏休み入ってすぐにプロジェクトで富山の氷見に行って10日間ほど物集めとか内装計画など体を動かす作業。これで下の代に引き継ぎが完了。

氷見に行く前にインターンのためのポートフォリオ作っていた。サボってたのでほぼ1から作ったので大変だったし、完成度もまだまだ。できたフォリオをメールで送り、氷見にいる間に返信が帰ってきてインターンに行けることに。
帰ってきた2日後から7日出勤のインターン。これはとても得た物が大きかった。

旅行など。
2級の製図試験が終わってその日の夜に夜行バスで出発して四国へ。香川、高知、松山を4日間で周る旅行をしてきた。

とまぁこんなとこか。
2級のためにとった時間がだいぶ多いと思う。
修士設計は全然進んでないのがすごい不安。

今年はコンペを取ることも目標だから、修士がラストスパートに入る前に頑張りたいところ。
あとは12月にあるマラソンも練習しないと。

時間を大切に。

緊張と弛緩(しかん)のバランス

いい生活を送るには緊張と弛緩のバランスが大切

個人的には緊張:弛緩=8:2ぐらいの緊張多めがちょうどいい

忙しい毎日の中に2割ぐらいのリラックスできる時間があれば充実した生活が送れる

リラックスし過ぎるのも禁物
やる事がない状態は人をダメにする

忙しいと思えるぐらいがちょうどいい

ps.緊張の反対語「弛緩」という言葉初めて知りました

やる気と習慣

やる気っていうのはそんなに長持ちするもんじゃない

基本気持ちっていうのはずっと維持するのは難しいもの
喜怒哀楽って言葉もあるぐらいどんどん変わっていくもの。

だからやる気ってものに頼って何かをやろうとしたりしても、だいたい続かない

何か頑張りたいものがあるのならやる気に頼るのではなく、習慣にすること

気持ちなんて不確かなものに頼らずに習慣の中に取り込んでしまえば、きっとできてしまう

大事なのは習慣になるまで続けること

最終的に自分の中に残るのは習慣から得たもの

「センス」というものについて

「センスがある」という言葉は建築設計ではよく聞く言葉だ。

では「センス」とはなんだろうか?

自分は「センス」とはこれまで生きてきた中で蓄積によって無意識的についた能力だと思う。
「センス」とは生まれつき持っている才能なんかではなく、後天的に生まれるものだと思っている。

そしたらその「センス」とはどうやったら身につけられるのだろうか?

私は「センス」は長い蓄積によって生まれるものだと思う。なんの蓄積かと言うと、建築で言えばどれだけ今までいい建築を体験してきたか、見てきたか。もしくは今までどれだけいいなーと思うものを意識的に見ることができてきたかだと思う。

大学に入学して1年生で「センス」のある人とない人の差は、それまでにどれだけいい空間を体験してきたか、もしくはそれを意識的に見ようとしていたか。
普段から美しいと思う形やいいなと思う空間を意識的に感じている人には、意識をしないで生きてきた人より少なからず差が出るだろうと思う。
それが「センス」がある人とない人に別れてしまうのではないだろうか。

しかし、だからこそこの「センス」は後からでも身につけることができると思う。
ようはたくさん良いものを体験する、意識的に良いものを見て、それがなぜ良いと思うのか考えて、自分の中に蓄積していけば良いのではないか。
それはきっと1年や2年で身につくことではないだろうが、それが5年や10年、20年ともなるときっと身になってくるだろう。

だからこそ、普段からたくさん良いものを見て、なぜ良いと思うのか考え続けなければならないのである。

リサーチから設計か。 リサーチと設計は別物か

最近考えていた修士設計について

大学によって修士設計という位置づけは様々で、大学によってというより教授によってと言った方がいいだろうか

多くの大学は大学院の卒業条件に論文の提出を定めている。そのため修士設計といいながらまずは論文を完成させることが求めれる。論文とは基本的に研究であるので、建築設計に関する個人的な興味を元に何かテーマを定め、調査、分析、考察などを行い論文として完成させる。

その論文を元に設計へと発展させるため、個人的な建築的興味を最終的には設計として形にまとめる。

一方、リサーチと設計は別物として、論文はあってないような物として提出する研究室もある。そういった考えの元では修士設計ではあくまで設計メインであり、分析は設計するためのネタ探しに過ぎない。分析は常日頃からしている物であり、いままで建築を勉強してきた6年間の積み重ね自体が分析のようなものであり、それを修士設計で扱うテーマに対して発揮させるということである。
つまり修士設計はこれまで培ってきた設計力を使って、社会や誰かのためになる建築を設計することである

まとめると、「リサーチから設計」というプロセスと、「あくまで設計をする」研究室との違いは
「リサーチから設計」が個人的な建築的興味を設計に発展させるのに対して
「設計をメインにする」研究室は社会や特定の個人にたいする問題意識をいままで得てきた腕で建築を作ることによって答えようとするものである。

全然うまく書けてないから後日編集しようかな。


優先順位をつける

f:id:yanagi1008:20150528022204j:image

これは少し前にTwitterで見つけたものである。
ある大学の宇宙人類学の教授が研究室に貼っていたものらしい。

これすごい大事だなと思ってお気に入りしておいたのだが、最近これと同じような物を自分でも作ってやらなきゃいけないこと・やりたいこと、に優先順位をつけました。

で優先順位をつけてみてどうだったかというと、これが予想以上に効果がある!
自分の性格的に効果がてき面なのかもしれないが、自分はやらなきゃいけないこともやりたいこともいつも衝動的で、その衝動が起こるたびにガッとやるのだけど、またやる気がなくなるとやめてしまって、また衝動がきたら…の繰り返し。

そういう事をしているとやらなきゃならない事(例えば英語の勉強なんか)は、本当は習慣的にやる必要がある物も定期的になってしまうし、やりたい事(読書、スポーツ、筋トレなど)も空いた時間があるとやりだして、逆にやらなきゃいけないことが先にあったことに後で気づいて後悔したりする。
そういった衝動的な感情で行動を起こしていると適当に時間が過ぎ、欲しいものは得れず、大事なこともできなくなったりする。

そういった自分の性格に的確だったのか、この優先順位をつける事をした事で、今自分がやらなきゃいけない事がなんなのか、もし空いた時間が出来たらやるべき事はなんなのか、いつどれぐらい息抜きややりたい事が出来る余裕があるのか、など自分の状況が見えてくる。

例えば、何か作業をしていて、これは優先順位のどの位置だったかなと思い出して、あっこれにそんな時間をかけているべきではないな、とか、優先順位の1番目、2番目なんかは常に生活の中で意識するようにもなる。

ついつい1週間後のエスキスだとか、スケッチうまくなりたいなーとか思っても、冷静な判断ができる時に優先順位をつけておけば、今後の人生の中で今やるべき事の優先順位をつける事で、本当に重要な事なのはなんなのか、という事が明確になってくる。

それほどこの単純な優先順位をつけるという事には力があるなと感じているこの頃である。